生きていく中で嫌な事は必ず起きてしまいます。
避けて通れないこともありますし、怪我や事故に関しても不本意ながら発生してしまいます。
生命の維持が出来ない程の事故に関しては何も出来ませんが、軽い怪我や骨折程度の重傷なら考え方や捉え方を変える事で、少しでも前向きに過ごしていけるようになります。

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コントロールすることの大切さ

何か嫌なことが起きたり、自分にとって不都合な事が生じた時、不快な気持ちになってしまいますね。これは誰しもそうなってしまうので、仕方ないことなんですが、その気持ちを持続させるのも切り替えるのも自分自身でしか行えません。

つまり、ずっとしんどいままで居続けることや、サッサと切り替えて気持ちをクリアにするのも自分次第なのです。

気持ちの面で自分をしんどくさせているのも自分、しんどくさせないようにするのも自分自身なのです。

ならばしんどくならないようにした方がいいと思いませんか?

気持ちのコントロールは自分自身をしんどくさせることも楽にさせることも自由に出来るのだから。同じ時間を過ごせるなら少しでも楽に楽しく過ごせた方が絶対に得です。

 

事例紹介

 

突き指したり、タンスなどの硬い物の角で足の小指をぶつけたことはないでしょうか?
私は今でも時折やってしまいます。
とりあえず悶絶しますね。 😥

そして痛みの和らぎと共に怒りが込み上げてきて、ぶつけた角を叩き返す。
これは皆さんにも共通の一連流れですね。 🙂

これは必要な処理対応だと思います。痛みの捌け口はあった方がストレスを少しでも発散出来るからです。

ここまでは皆さんも大体通る過程ですね。

 

しかしここからが私の考え方が入ります

痛くてはらが立つのは一緒です。ですが今回の出来事は分けられた痛み、分散された痛みであると解釈します。
この先に大事故が起きる予定であるが、このような小さな事故を繰り返すことで、この先起きる大事故が軽減されていると勝手に思っています。

骨折などは入院しないといけませんが、重体までいかない程度の怪我を負った時に関しては、事故の前後関係にもよりますが、前向きに捉えるように解釈します。

 

例えば、
自分であったからこの程度の怪我で済んだ。
自分は一時的に不幸になってしまったが、過去生での行いの代償は命がなくなる程の事ではなかったのだ。
など、他にも沢山考える事が出来ます。

 

因果の法則で言えば、起こるべくして起きたことであるが、それ相応の代償を補う事態を一度でなく分散して起こしてくれている。と解釈するのです。

考え方はある意味無茶苦茶だと思いますが、宗教的概念を一部取り入れることで解釈の幅を広げて理解していくことは、全ては自分自身の気持ちをコントロールする為に行っている事だと理解して下さい。

ちなみに宗教的な学習をしていくことで因果の法則について理解を深める事が出来ます。

私自身本当に変わった考え方の持ち主であると理解しています。
皆さんも少しでも楽に楽しく面白く、生きて行く方が人生得だと思いませんか?

 

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